著書『日本の独立』(飛鳥新社)やブログ「植草一秀の『知られざる真実』」などで、利権複合体(既得権益勢力、米国、官僚、大資本のトライアングル)の真相・真実と、主権者たる国民がこれらの諸権力と闘う必要性を訴え続けてきた植草一秀氏。転換期を迎えた日本国家について、どのように感じているのか話を聞いた。
私は脱原発賛成派ですが、仮に脱原発ということを決めるのであれば、大きなエネルギー制約がかかってくるため、短期的にはエネルギーコストが上がるとか、あるいは日本の原子力関連産業の利益機会が損なわれるといった問題が発生します。ただそう決めるのであれば、その枠組みのなかでの最適化を考えていけばよいということになります。
この種の議論を考えるときに、戦後の日本経済の歩みそのものを振り返ると、やはり基本に置かれてきたのはGDP至上主義、経済成長第一主義であることに気付きます。しかし、本当にそれが国民、人類に幸福をもたらすものかどうか。GDPは下がっても、逆に豊かさや幸せの度合いが増えることも考えられなくもありません。
たとえばエネルギー消費量を国全体として少し切り下げるなかで、一方で人々の暮らしが都市中心の生活から地方に分散した暮らしになり、余暇を活用する時間が拡大すれば、新しい豊かさというのも生まれてきます。これは、従来の近代経済学の範疇を超えたような話にはなりますが、ライフスタイルの根本的な見直しとか、人類が追い求める価値が何であるかといったことを含めて、今回の原発事故を、ものごとを考え直す契機にすべきではないか、こうした素朴な印象を私は持っています。
経済成長至上主義で言えば、1人当たりの所得金額が何万円増えたかどうかだけが重要ということになりかねません、究極的には。ところが、仕事の内容にもよりますが、遠隔地で在宅勤務ができれば、地方の在住が可能になります。物価水準が違うということも大きな要因のひとつで、同じ名目所得でも実質的な所得水準が変化するという面も生じるでしょう。ライフスタイルが激変することで、新しい豊かさが発見される可能性も非常に高い。
仕事をしていかなければ人は生きていくことはできませんので、大都市にいなければ仕事が得られないという制約が非常に強いのですが、この制約がもし取り払われれば、地方で生活するほうがはるかに良い暮らしを実現できるのではないでしょうか。私も実際に地方に住んだことのある経験から、それを痛感します。
<プロフィール>
植草 一秀(うえくさ かずひで)
1960年、東京都生まれ。東京大学経済学部卒業。大蔵省財政金融研究所研究官、京都大学助教授(経済研究所)、米スタンフォード大学フーバー研究所客員フェロー、野村総合研究所主席エコノミスト、早稲田大学大学院公共経営研究科教授、大阪経済大学大学院客員教授、名古屋商科大学大学院教授を経て、現在、スリーネーションズリサーチ(株)代表取締役。著書は『日本の独立』(飛鳥新社)ほか多数。
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